やさしくしてやさしくされたい
もともとはそんなにわたしは占い好きというわけではない。
そもそも占いを勉強する前は当たっていると思ったことがなくて、
(だから自分で勉強してみて、それ―当たってると思えない―がどうしてかがわかって面白かった)
雑誌の占いなどを書ける人は本当にすごい、と思うけど、
わたし自身については恋愛運を読もうにも出会いもなくて実感がわかないし、
仕事運を読んでもそもそもがいつもひりひり危険水域なのが当たり前みたいなところもあって、自分に寄せて読むことができなくなっている。
それでもそういうわたしが占いを受けたくなる時ってやっぱりあって、
多分それはどうも弱ってる時なんだよね。
自分で自分のことを占うことはできる。
だけど自分じゃなくて誰か。
他のどなたかに言ってもらいたい。
大丈夫だよ、とか。
そもそもが自分のことを占いたくない時って疲れ果てていて、
占うのはエネルギーを使う。自分のためにはそのエネルギーも起こせない。
やさしくされたい時なんだなって思った。
前を向こうにも向く気力がわかない。
ただもう不安で、何か信じるものがほしい。それがあればがんばれるのかもしれない、とか。
みなさん、そうなんじゃないかな。
しかしわたし自身のやる側としての占いはそんなにやさしくない。
やさしくできたらと思うけど、
自分についてはまずはカードや星に出ているものを読むこと。
そのうえで、できるだけのことを。
状況が難しいならば、どうすれば変えていける可能性があるかをお伝えする。
さらには「ごめん。申し訳ないけどそれ難しい」としか言えない時もあって、そんな時にどうお伝えしようかと悩んでさえいる。
そんなこんなで全面的にやさしいとはとても言えなくて、
自分はやさしくされたいって望んでいるのに、なんだか申し訳ないなあと思う。
ここは難しいところ。矛盾があるよねえ。
もうひとつ、大切にされたいというのもあるかな。
なんというか、自分の場合はなにか傷んでる時なんですよきっと。占いを受けたいって思うのは。
これはできるだけ。
多分、自分のことは脇において、相手を尊重するところからはじまるんだと思うんです。
占いのセッションの時間って。
そんな感じの。
しかしわたしは占いを受けていいことを言われたことがないんだよね…。
いいことを言われたいタイプのはずなのに。笑。
いやいやしかし、今更「結婚運いいよ」とか言われたら逆に疑っちゃうから。
それはそれで結局今の自分に即したことを言われるのがそれなりのベストなんだろうな。
そのうえで少しだけの希望。
なかなか結局夢のない話。
つまんなくてごめん、とかよく一人で考えてます。