ちがうってことが助けてくれる。

このあいだ、以前に占星術の講座に参加してくださっていた方とお話していて、
何かの時に
「わたしたちは、人と人は違うってことを知るために占星術を学んだんだからねー!」と叫んでいた。
ずっとうっすら思ってたにちがいないけど、なんかの瞬間にそうやってわーっと出てきたので、
自分にとってはほんとそうなんだと思う。

みんなと同じでなくちゃいけない、という前提が自分の中にあるんです。
それは世の中で生きていくためには大切な、安全なことだから、そうやって教え込まれてきたんだと思う。特に無力な子供にとっては、それはある意味まちがいではない。

でもできないわけだ。同じになんて。
ある程度人格ができてきて、自分の頭で考えられるようになると、そこが顕著に大きな問題となってくる。
大きなところでも人と比べてできない自分に目が行って、そういう自分を責めてしまうし、
誰か身近なところで小さなやりとりをしていても、
目の前のすごいとか、素敵なとか、できる人と比べて自分を貶めようとしてしまう。

でもただ「違い」なんだと思う。
それはどっちも、どっちかがすごいってことじゃなくて。
もし「すごい」ということにこだわるなら、それぞれのすごさを発揮できるところが違うというか…。

かなわないところはかなわないので、うーん…となるし、
わたしが間違ってるんじゃないかとかすぐ思うし
(いや間違ってるところもあるかもしれないけれど)
できるできない、やらなきゃならないなどなどの事情もある。

それはおいといて、
まずはベースが違う。
そこに目を向けることができると、
自分のことも責めなくてすむし、
目の前の相手のこともその違いに気がつくことで、全面的に合わせることはできなくても「そういうことだよね」ってOKを出すことっていうのもできたりする。
そういうことが理解しようとするってことなのかなって。

同じだと思ってたら、
「なんでわかんないの」「わかってくれないの」の感情でわーっとなって終わってしまうところが、
「人と人は違う」
その前提に立った方が、できる範囲のできる努力も可能になるのかなって。
自分のことも「しょうがないよね」って許せるし。

わたしにとっては占い、特に西洋占星術を学んで一番よかったところはそこですね。
学びはじめて気がついたら10年以上経っていたけど、未だに思います。
そういう意味で意外と実用かな。
意外と、でも相当助けられています。自分自身の心と、人と関わって生きていくうえにおいて。

(ただ、この感じ「わたしは○○座だから○○できない」って、制限をかけてしまうもとになる時もあって、複雑な気持ちになってしまうこともある。できれば、うまくつかえるところをつかえる場所でつかいませんか?そっちに目を向けてみませんか?っていう気持ち。ここも矛盾があって紙一重なんだけれど)

わたしたちはもっとしあわせになれる。なんか、そう思いたいっていつも思ってる。