ひとりのひとの中にいろんな自分がある。

今日は西洋占星術のことを書きますね。
あくまでわたしの実感ですけれど。

なんで勉強しちゃったんだろう…って今でも思うんですよね。
わたしが勉強しはじめたのはもう40歳直前ぐらいの時。
きっかけはあったのですが、
うっかり学びはじめてしまって、いやしかしめんどくさいからどっかでやめよう、と思いつづけていて。
でもある程度までわかるまでは…と続けているうちに、
いやいやしかし使えるところがあるんですよ…ということがわかる場面にたくさん遭遇して。
もうやめるということはないかなと思う。
やっぱりすごいし、面白いもん。
もともとそんな占いっ子じゃなかったわたしで、星に基づいて日々の行動を決めてるとかじゃなくても「占星術、ほんとに侮れないよね…」とお客さんとぎょっとしあったりしています。

勉強してよかったのは、
言葉にできなかった自分という人がわかったというか、認識できたこと。

もうまず、人と人はもうベースのところから違うんだ、ということがとてもくっきりとわかります。
それはひとつのあきらめでもあり、それでいいんだという新しい視野が手に入ったということでしょうか。

占星術は一人の人のことを10のパーツに分けて考えていくようなところがあります。
実はおんなじ学年のおなじ星座の人がクラスにいたとしても、お誕生日が3日違うと性格は全然違います。
ましてや学年が違うと、価値観も違ったりする。
実は生まれ時間が1時間変わるだけでも変わる。

ほんと…ちがうのです。人と人。

「みんなとおんなじであらねば」で、そうできない自分を責めていたけど、土台それは無理だったんだって…驚きましたよね。

内面を比較的詳細に読んでいくようなところがあるのですが、
最初にはっとしたのが月星座という存在。
月星座というものがあるということは、今はもうかなりメジャーですよね。

占星術、一人の人を10の部分に分けていくところがあります。
わたしはしし座なんですけど人に「しし座っぽくない」とよく言われることが多くて、自分でもそれっぽくないと思っていました。

でもあくまでしし座というのはとても大きなところだけれど、その10のうちの1つの「太陽星座」。
太陽星座というのは目的、向かっていくと満足度が高いよ、というところです。
ベーシックな部分=素の自分、生活習慣というのは月星座のほうなんですよね。
月星座はもちろんしし座ではありません。

ほんとの自分、というかいろんな自分がいる。
ということが視野を広げてくれる気がしました。
それは実はいろんな可能性がある、ということでもありますよね。
選択の幅がひろがる。

あとまあ、
うっすらと自分のことをろくでなしと思っていたけど、ほんとにろくでなしじゃん…!という…のも出生図を読んで実感するということもありました。
自分のことをろくでなしと思っていたのは「夢見がち」で、だけど「人に心を開けない」というところで主に。
すごくそういうところで自分を責めてもいました。
でも読んでみたらほんとにそうなんだもん…。
これはあくまでわたしの場合ですからね。

そのあと自分のことを「だめだだめだ」と責め続けていた時もあったのだけれど、
自分のことがわかってきたことで、うまくいかなかったことについてはなぜうまくいかなかったのかがわかったり、社会と関わっていく上での対策をなんとなくでも立てられるようにもなったかもしれない。

めんどくさっ(西洋占星術のかみさまごめんなさい…)と思ってたけれど、わかればわかるほど面白いし、その後のわたしを相当助けてくれたことになる。
だから足を向けては眠れない。

わたしの場合はこんな感じです。

自分自身の生まれた瞬間の天体の位置を図にしたものを「出生図」というのですが、
出生図はある意味その人の本質的な部分、骨組み的なものかなと思っています。
環境などもあるし、咲き方はさまざま。

西洋占星術の講座では、それぞれの参加者さんの出生図をサンプルに読みながら、読み続けるために必要なパーツに慣れていきます。

 

4月より西洋占星術連続講座、ひさしぶりに開催します。
https://nakamurakaeru.com/astrogrouplesson202204/

ご興味お持ちいただけましたら。
お問い合わせもお待ちしています。

西洋占星術のこと「めんどくさい」と書いたけれど、今はめんどくさくないからねー。…というより、おもしろさの方が勝る…かな?
願わくば年をもっと重ねても、図を読み続けられますように。目が…弱くなりまして…。

学んでよかったって、今は心から思っていますね。
だからレッスン、やっているのかなって。

 

先日、確か中野あたりの薬屋さんの前で発見しました。