2023/11/8(水)「ドキュメント・サニーデイ・サービス」目黒シネマ

映画「ドキュメント・サニーデイ・サービス」、目黒シネマ。
まとまらないけど感想文書いちゃえそう、ぐらいに面白かった。

バンドのいろいろあった長い歴史のふりかえりを観ていると、
客側の立場としてはライブは行ける時に行っとかないとだめだなという気持ちになる。

バンドは2000年に解散、2008年に再結成。2018年にドラマーが病死。
ゆるゆるとどうしようかというところで2020年コロナ禍。
同時期にサポートで関わったドラマー加入で再始動。
新ドラマー加入でツアー開始、というタイミングでのコロナ禍スタートでツアーは延期(多額のキャンセル料も発生)

もともとライブのドキュメンタリーを撮影する(プラスさらっとバンドの歴史)予定だったのが、ツアーのキャンセルもあって、これまでの30年の関係者にみっちりインタビュー。
面白い話ざくざくでこれまでの歴史、コロナ禍でツアーができなくなったバンドの動き、ライブそのものの記録と3部ぐらいの雰囲気に。

フロントマンの曽我部恵一、
もともと大きな声出すなんてカッコ悪い…みたいなコンセプトでスタート、デビューして人気を得ていたはずが、
一度解散した後に「食ってくためにはライブやらないと」「声届かせないと」と汗振り乱して声を出しまくることに。
そこで鍛えて力をつけたことが再結成後の今に繋がると。
(今の曽我部さんは声めっちゃ通るし大きい)

「あそこで変わった。みっともない所を人に見せられるようになった」

曽我部さん仕事においては厳しいし無茶ぶりするし傍若無人なところもあって一緒にやってく人は楽じゃないんだと思う。

そこは若い時も今も変わらないらしい。
それでも一緒に仕事続けてる人達。
「(曽我部恵一がほかのメンバーに対して)やなこと言うのに、行かないでって言うんだよね」と、関係者。
3人のメンバーで固まってから、(結局1度)解散はしたけれど、メンバーチェンジすればいいじゃんという発想はなかったらしい。

この人たち、なんだかんだで音楽をやる仲間ということでは相思相愛だったんだ…と観ていて気づいた。
1度目の解散の後ドラマーは他のバンドをやろうとしなかった。
サニーデイ・サービスには叶わないと分かっていたからじゃないかと。
これも周囲の証言。
当の本人は2018年に亡くなっている。
ベースの田中さんについても近い感じがあって。
1度目の解散の後は、新しいバンドのサポートにまわって自分自身の名前での音楽活動はしていなかったらしい。

本来はストレートにライブのドキュメンタリーを撮るはずだったのが、企画はじまってコロナ禍に突入。
同時期に新メンバー加入。
そこから紆余曲折しつつバンドメンバーの演奏力を固めて力をつけていこうという意志もあり、ライブの数をこなしていく。

ラスト近く、四国での野外ライブが感動的。
すぐそばを通るマリンライナーの轟音と轟音の本当に(!)すき間で一曲やりきるのだ。
あれは時間を測ってやっていたのかな。

全然関係ないけど、すばらしくおちつく目黒シネマのサンマルク。