2024/02/22(木)「夜明けのすべて」、二回目。

映画「夜明けのすべて」、二回目。
ベルリン国際映画祭参加ということで、現地からのコメント、ダイジェスト上映があると聞いて…、
(わたしかんちがいしていました。作品のダイジェストがさらに…かと思っていたらそうじゃなくて。監督と主役のお二人の現地での行動や映画祭でのQ&Aでした。)

おとなたちがやさしくて泣いてしまう。
おとなたちというのは、主役の二人を見守る光石研や渋川清彦や…。
「やさしい」というのは「慈しみ」ということなんだと思う。

主人公二人が抱えている心身的症状が軸になってはいるけれど、この映画の世界はユートピアだとも思う。
他者への尊重と慈しみ。相手を遮らない手助け。

誰も、自分の感情のために他者を利用しようとしないこと。

手助けはするけれど、相手を変えようとしないこと。
相手を変えようとするというのは、それはわたし自身の相手に対するジャッジだから。そのジャッジをする人物がいないということ。

そして、それぞれが他者の人生を尊重していること。
なので、上司のおねえさんは「いつ誰がいなくなってもよいように業務の標準化」と話すし、社長も辞表を出されてひきとめることはしない。
それぞれはそれぞれの人生をひとりでやっていくという前提がある。そこに誰かが口出しすることがない。

無理のない手助けまで、というところは、相手の人生を尊重することもあり、自分自身の人生をも尊重すること。

すごく健やかな関係性だと思った。

こういった作品を作りたいという思いがあったうえで、
その思いを表現するのを支えるのは技術で、
監督はじまってスタッフ、役者さんの技術がすばらしいということでもある。

多くの人とお金、企業が絡む映画制作でゆずれないものをゆずらないためには柔軟さと賢さと信念が必要だったのかと。

ここまで書いていてなんだけれど、これまでのわたしの「この作品が好きで好きでしょうがない」、みたいな感じと違う気がする。この映画については。

それは大きなドラマはないことで感情のアップダウンをさせられるわけではないとか、「これはわたし」みたいに共感させられるキャラクターが出てくるわけでもない。
強いアップダウンダウンを感じさせたり、共感させるようなドラマの作りはひきこまれやすい。
そこは意識して排除しているんでしょうね。

それでももう最初の場面から泣いてしまうのは、作品の中に慈しみがあふれているからだと思う。
やわらかい光と影。16mmのフィルムで撮影したそうです。「くっきり鮮やか」より、少しざらっとしてやわらかい画面。役者さんたちの声とか表情とか強すぎなくてほどよいやわらかさ。

特にあふれてしまうのは、渋川清彦が松村北斗から今の会社続けると聞いたシーンと、
最後のプラネタリウムかな…、
過去、現在、未来も関わっていくかもしれない人々が集まって、そして
みんなが「よかったよ」って挨拶しながら帰っていく。
光石研と松村北斗が二人になるところもいい。
…でもあそこがいいここがいいと挙げはじめたらきりがないくらい。